天海書状
寛永12年(1635)か
寛永11年7月に起きた江戸城西の丸火災の責を負って蟄居した西の丸番・酒井忠世(川越城主酒井重忠の長男で、重忠とは別に川越領五千石を拝領しています)の赦免のため、同年12月23日、天海は江戸城へ登城しました。本資料は天海の私信ですが、この登城について触れられています。天海の他に徳川御三家からの赦免要請もあり、忠世は復職することができました。


意訳
尚々 土蔵、取次の間
春中 急ぎ建てるべく ねんごろな心遣い
この上もなく喜んでいます。
奥方へも事情承知の程頼み入れます。
旧冬は路すがら無事に極月(十二月)二十二日
江戸へ到着 二十三日登城、ひとくぎり御懇切
安心することができました。
一 坂本に上々の土蔵又 取次の間
此春きっと建て申すべきつもりです。
入札をさせるだろう(から)
相住坊(亮算)を各々談合させるので
油断があってはならない。
一 今度二十日頃江戸へ参るので
尚、追々用事は(手紙や使いなどを)言ってよこすのがよいです。
正月八日 天海(花押)
宗順
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