川越市

県指定旧跡 奥貫友山墓

更新日:2022年3月29日

名称 奥貫友山墓
よみ

おくぬきゆうざんはか

種別

県指定・旧跡

員数 1基
所在地 久下戸4511
指定年月日

昭和36年9月1日

所有者
文化財の概要

 奥貫友三は久下戸に生まれ、幼名小平太、通称五平次と称し、諱(いみな)を正卿(まさのり)、号を友山(ゆうざん)といい、永年名主をつとめて衆望があった。とりわけ寛保2年(1742)8月、関東一円に大風雨があり、荒川、利根川など数十の河川が決潰氾濫して、未曾有の大洪水となった。川越領内だけでもその被害は村数28、流潰家数353戸、水死24人といわれた。このとき友山の救恤をうけた罹災者の数は翌3年4月までの間に、近郷を含めて48ヶ村、10万6千余人といわれ、合力米25俵、雑穀266石、この内買入代金130両余、べつに夫食金32両1分はすべて自己の資財を投じたものであった。川越藩主秋元凉朝(すけとも)は狩野周信(ちかのぶ)筆の白鷹図1幅を友山に下賜し、厚くこれを表頌した。
 また、友山は成島錦江に学び、細井平洲(へいしゅう)とも交友があり、歌集「老の寿佐美(すさみ)」他詩稿なども残している。天明7年(1787)11月10日、81歳をもって没した。

お問い合わせ

教育委員会 教育総務部 文化財保護課 調査担当
〒350-8601 川越市元町1丁目3番地1
電話番号:049-224-6097(直通)
ファクス:049-224-5086
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