川越市

市指定史跡 松平周防守家廟所

更新日:2024年3月29日

名称 松平周防守家廟所
よみ まつだいらすおうのかみけびょうしょ
種別 市指定記念物 史跡
員数
所在地 小仙波町5-4-7
指定年月日

昭和33年3月6日

所有者 光西寺
文化財の概要

 松平周防守家の本姓は松井氏で、藩祖は忠次と称し、三河以来の徳川家の重臣であり、家康から厚い信頼を受けていたため、早くも永禄6年(1563)から天正4年(1576)の間に「松平」の姓を賜わっていた。
 周防守家は代々幕府の要職に就き、それにつれて石高も当初の2万石から8万余石にまで増加して行ったが、転封もひときわ多く、封地は三河・遠江・駿河・武蔵・常陸・丹波・和泉・播磨・石見・下総・陸奥などの国々の地を点々と移動した。14代続いた藩公のうち後半7代目康福以下に限って述べると、石見国浜田には10代目康爵まで67年間、陸奥国棚倉に移って13代目康英まで31年間、その後慶応2年(1866)に川越へ転封になったのであった。以来明治4年(1871)の廃藩置県までの5年間、康英・康載が川越の地を領治したのである。
 松井家の菩提寺は西本願寺派の光西寺で、川越へ来た当初は、養寿院内に借寺をしたり、門前に仮寺を置いたりしていたが、大正年間に現在の小仙波町へ移転した。当廟所は墓石に「松井家累代之墓」とあるように、松井家累代の遺骨170余が合葬されている。 

お問い合わせ

教育委員会 教育総務部 文化財保護課 管理担当
〒350-8601 川越市元町1丁目3番地1
電話番号:049-224-6097(直通)
ファクス:049-224-5086
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