川越市の歴史 原始古代
最終更新日:2015年2月17日
川越市内には旧石器時代をはじめ、縄文・弥生時代の遺跡が武蔵野台地上を中心に分布しています。古墳時代になると、三変稲荷神社古墳や愛宕神社古墳、どうまん塚古墳、牛塚古墳、山王塚古墳など大型の古墳がつくられ、それぞれ数基から数十基で構成される古墳群として知られています。また、当時の川越地方を治める役所である評家(ひょうけ)の成立も古墳時代後期と考えられ、のちに律令制が敷かれると「入間郡衙」として発展しました。
奈良時代になると、国内に官道(各国府と都を結ぶ道)が整備され、現在の市域の西側を南北に縦断する「東山道武蔵路」が建設されました。
平安時代には、仙波に無量寿寺(のちの喜多院・中院など)が創建され、次第に中心的な都市としての原形がつくられていきました。
市内遺跡の発掘調査